家康は「秀頼が成人するまで政事を家康に託す」という秀吉の遺言により専横の兆しを見せ始める。さらに秀吉の生前である文禄4年(1595年)8月に禁止されていた大名同士の婚儀なども行って、巧みに味方を増やし始めた。その婚儀の内容は次の通りである(ちなみに婚姻した娘は、全て家康の養女とした)。
伊達政宗の長女・五郎八姫と家康の六男・松平忠輝。
松平康元(家康の甥)の娘と福島正之(福島正則の養子)。
蜂須賀至鎮(蜂須賀家政の世子)と小笠原秀政の娘。
水野忠重(家康の従兄弟)の娘と加藤清正。
保科正直の娘と黒田長政(黒田如水の嫡男)。
さらに家康は、細川忠興や島津義弘、増田長盛らの屋敷にも頻繁に訪問して、多数派工作を行った。こうした政権運営をめぐって、大老・前田利家や五奉行の石田三成らの反感を買い、慶長4年(1599年)1月19日、家康に対して三中老の堀尾吉晴らが問罪使として派遣されたが、吉晴らを恫喝して追い返したと言われている[誰が?]。しかし、利家らと対立する不利を悟って、2月2日には誓書を交わして和解したが、3月3日に利家は病死した。
その後、福島正則や加藤清正らが三成を襲撃する事件が発生し、正則ら武断派と、三成ら文治派による対立が表面化した。家康は武断派諸将を慰撫してその支持を集めるとともに、三成を奉行職から解任して、佐和山城で蟄居させた。
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9月7日、家康は大坂に入り、三成の大坂屋敷を宿所とした。9月9日に登城して豊臣秀頼に対し、重陽の節句における祝意を述べた。そしてそのまま大坂に居座って、政務を執り続けた。9月12日には三成の兄・石田正澄の大坂屋敷に移り、9月28日には大坂城・西の丸に移り、大坂で政務を執り続けた。
さらに家康はこの頃、豊臣政権における諸大名の切り崩し工作も行なった。9月9日に登城した際、前田利長(前田利家の嫡男)・浅野長政・大野治長・土方雄久の4名が家康の暗殺計画を企んだとして、10月2日に長政を甲斐国・府中で隠居の上、蟄居させ、治長は下総国の結城秀康のもとに、雄久は常陸国・水戸の佐竹義宣のもとへ追放とした。さらに利長に対しては加賀征伐を強行しようとしたが、利長が生母・芳春院(まつ)を江戸に人質として差し出したことで出兵を取りやめた。しかし、これを機に前田氏は完全に家康の支配下に組み込まれた。家康の暗殺計画は、家康を大坂から追い出し挙兵しようとする三成らの事実無根の謀略であったとも言われている[要出典]。
さらに家康は多数派工作も行なった。
対馬国・宗義智に1万石を加増。
遠江国・浜松12万石の堀尾吉晴に、越前国・府中5万石を加増。
美濃国・金山7万石の森忠政を、信濃国・川中島13万7,000石に加増移封。
丹後国・宮津の細川忠興に、豊後国・杵築6万石を加増。
薩摩国・大隅の島津氏に、5万石を加増。